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2007年度

いよいよ大晦日、2007年度の最終日を迎えた。今年の世相を表した「偽」。食品業界の偽装からはじまり次から次へと出る。膿は出しきらないと腐ってしまう。嘘をつけば罰が当たると言うが、これら偽りを嘘も方便にしてはいけない。

真実はひとつであり、事実はいくつも作ることできる。

大人は己の利益のために嘘をつくことが多いのならこどもになんと説くのだろう。律することをできるのが大人であり、それが子どもから大人へ、成長から成熟なのだから。

6歳の時、健康優良児で表彰を受けた。インフルエンザ予防接種を受けた翌日に全身がむくみ、入院となった。ネフローゼ症候群という難病だった。入退院を繰り返したが、8歳の時に最初の親友が白血病で死んだ。その子の名は明と言う。

ある日の午後、明がベッドに横たわっていた。ベッドのシーツが真っ赤に染まっていたのを僕の母親が見つけ、すぐに個室に移された。その日は何とか峠を乗り越えたが、それから数日後、明が亡くなる前日にその子の病室に母親が僕を連れて行ってくれた。

後に聞かされたのだが、直勝に会いたいと魘されていたから、先生にお願いしてくれたそうだが、その時は子どもを個室に入室させられないと断られたそうだ。母親の熱意が伝わったのだろう、最後に会うことができた。

目も見えていなかった、腕も動く状態ではなかったらしいが、最後に僕を見て笑った。32年過ぎた今もその時の明の笑顔が忘れられない・・・

「明の分を背負って生きなさい」母親にそう言われた。JCをボンボンの集まりだと思っていたので3年間も入会を断り続けのだが、縁があって入会した。その頃、例会場で「臍帯血バンクの支援」として署名活動を一生懸命に活動しているJCメンバーを目にした。

JCに対する偏見が吹っ飛び、心を動かされた。臍帯血は白血病を治せる可能性がある。白血病で亡くなるこどもを助けることができると涙が出た。JCに感動した僕はそれからというもの一生懸命になった。

僕が理事長になるとは誰も思っていなかっただろう。ある時、箍が緩んでしまっているJCに嫌気がさした。不平不満、批評ばかりしていても何も変わらない。それなら自らが理事長になって変革すると立候補したのが、はじめの第一歩だった。

いろんな経験を10年間させてもらったが、東京青年会議所理事長は1億円より価値がある。そして、見える視界が違うと歴代理事長に言われたが、体感して納得した。

このブログも1月4日から毎日更新してきましたが、いよいよエンディングを向かえました。色んなテーマを見つけて書いてきましたが、何事も根っこである原点を捉えること、その上で多面的に見方を変えてみることが必要なのだと思う。

JCメンバーのみならず多くの皆様に読んでいただけたことが何よりの喜びです。

修養団伊勢道場長の中山先生から教わった言葉に「力があるから錘を背負うのではなく、錘を背負うから力がでるのです。」「あなたの仕事は何ですか、人の役にたつためです。」

「松本理事長ブログにどんなに支えられたか、わかりません」と声をかけて下さった皆さん本当にありがとうございました。

2008年が皆様にとって素晴らしい一年となるように祈っています。

結びに
日本人よ卑怯者になるな、日本人よ「武士道」を忘れるな。

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信頼型社会の実現

どんなに貧しくとも志があった。敗戦後の半世紀は目まぐるしいほどの経済発展を遂げた。先人達の血のでるような努力が日本を再建し、僕らが生を受けた頃には日本人は豊かになっていた。

時の占領軍によって「歴史・地理・修身」の教育を無くした。それに便乗したそれまで軍国主義に押さえつけられていた一部の国民が徒を組み権利の主張をするも義務を忘れ、個の主張をするも公を忘れた。

高度成長期では戦前生まれと、戦中生まれと、戦後生まれが共存した。人間味とスキルのある人が存在し縦横の社会バランスがとれていた。だが、バブル期を迎えた頃よりバランスを失いだした。経済に奔走する中で、戦後生まれへの教育、日本人としてのあり方を忘れてしまった。

目を輝かせて夢を語り、その夢に向かって努力をする。言葉で理解できる人は多かろうが、背中で見せる「生き様」を見せれる人が減った。桜井よしこさんが述べた「豊かさに負けた日本人」はピンポイントで的を得たと感じた。日本は豊かになる中で失った「力」は大きい。

昨今また「共生社会」「相互信頼社会」とよく耳にするようになった。東京JCは95年に指針改定、97年に中長期ヴィジョン策定、以後指針は05年に改定、中長期は07年に策定した。東京JCが行う問題提起、対処、解決、未来志向(ヴィジョン)それらへの先見性は改めて凄いと感じる。

真に明るい豊かな社会の実現は権利と義務、自由と責任を有した市民が「官」にもたれるのではなく、自ら選択し行動する民主導型社会である。その大前提として、人の心が豊かでなければならない。社会を構成する人が豊かであることが最初である。

多様性、勤勉性、思いやる精神、調和といった美徳のある人が構成する社会が信頼型社会とし運動した一年であった。日本型経営と言われるように社会や国家を経営するも同じである。


 
 

29日

江戸川地区西脇君、小泉江東地区委員長、荒川地区大牟田君らが午後10時頃ステージに出るので亀戸ハードコアにJCの仲間が集まった。

だが、10時まで待ちきれずに7時からモンゴル料理屋で飲みだし、10時過ぎまで飲んでいた。葛飾地区中嶋君、渡部常務理事と3人で食べ始めたのだが、あれよあれよと人数が増えていき、青山顧問、菅原夫妻、新井佳代子さん、事務局山村さん、成島真紀さん、持丸荒川地区委員長といつの間にか内々の忘年会のようになった。

ハードコアへは佐伯理事が友人を連れての参加。荒川地区名倉君、碓井君、世田谷地区福田君もいた。集まったら飲み交わすのが常である。結局3時頃まで飲み続けた。今年の締めくくりとなった。

ワッキーの掛け声が皆を引き合わせてくれたおかげで楽しい一日となった



 
 

事務局仕事納め

昨夜は京成小岩に宿泊して事務局へ向かった。交通量がとても多く、事務局まで1時間ほどかかった。今年も東京JC事務局の仕事納めとなった。事務局員6人に東京JC運動体を支えていただいたことに感謝を述べ、理事長デェスクを整理整頓して事務局を後にした。3階の日本JC事務局へ行き、水野局長、矢田部課長、1階の管理人さんに挨拶してJC会館を後にした。

夜は、広報特別委員会忘年会を五反田にある串揚屋「串音」http://http://www.kushine.com/で行われていたので参加した。
僕らの思春期である80年代を思い出させるJPOPがBGMとして流れている。店は昭和史を懐かしむお客さんでごった返していた。

串揚げを食べながら、リズムを取り、今年一年間を振り返った。12月の広報メンバー活動は凄かった。フォーブスに東京JCが取り上げられたこと、JC NEWSが靖国神社遊就館に置いてあること、とことんやれば必ずできると否定論ではなく肯定論で活動してくれた一年でした。

7人ではじまった宴会が終わる頃には倍位の人数になっていた。宴の途中に電話をかける広報メンバー「どこ、まってるよ、五反田東口にある串音だよ!」いい迷惑だね(笑)

こうやって人を巻き込んでいった今年の広報活動であった。「JCの社会的存在意義を見出し存在価値を高めよ」との指令に忠義に活動した一年を振り返り、菅原理事を筆頭に山田総括、国方書記幹事、鎌田会計幹事とご主人、山田副委員長、山路副委員長、諸藤副委員長、成田委員とそのお友達、水谷理事、飯塚君らで大いに盛り上がった夜となった。

お疲れ様、そして、みんなありがとう





 
 

地元での卒業式

僕の住まいは杉並区浜田山だが、JCの地元は葛飾であり、僕のJCの原点である。下町人情溢れるこの葛飾から僕のJCライフがはじまった。喧々諤々の議論をしている姿にとても驚いたのが、ファーストインプレッションだった。入会した頃よりさほど人数は変わっていないが、常にメリハリあるJC活動を実践していた先輩らがいた。

葛飾区委員会の会議は理事会と同じほど緊張感があると周りからも言われていた。事業計画書が棚上げされたのを見たのもこの葛飾が最初である。それからも今も、他の委員会では、棚上げを見たことない。

その直向な姿に多くを学んだ。やる時はやる。遊ぶ時は遊ぶ。常に真剣であった。理事会にて棚上げしたことがあるが、その方法を学んだのもここであった。テクニックは所詮、手法である。山本五十六やマザーテレサの言葉を使い、テクニックより「魂」を伝授してくれた。

この下町「葛飾」で覚えた「バルト3国」も僕は意味がわからなかった。足立・江戸川・葛飾
の3地区は都心部から「川向こう」と言われ、3地区は「川こっち」と言っていた多くの先輩らを思い出す。そんな思い出がぎっしりと詰まった葛飾区柴又の「ゑびす家」にて卒業させてもらった。

丸10年間のJCライフはこの下町葛飾からアメリカ大陸、アジア大陸、アフリカ大陸、ヨーロッパへと羽ばたかせてくれた。そしてラストイヤーの本年、理事長という役をいただいて「葛飾で息吹を吹き込まれた魂」を多くの方に伝えることが出来たと自負している。

昨夜、持ちきれないほどの花が届いた。日本JC委員長の時、ブラジルまで一緒に行った友が他界した。死んだはずのテポこと松沢の名が3人の連名であった。長野JCの松橋先輩、小山田君の”思いやり”に心打たれた・・・

テポの史は突然の出来事だった。僕の人生ではじめて友が他界したのは8歳の時、それからあいつの分まで一生懸命生きてきたが、最近の2年間でJCの友人4人が他界した。

悲しくて、辛い日もあったが、死んだ友に恥じないよう「逃げない、あきらめない」と精一杯、前に進んできた。

ゑびす家の駐車場にタクシーが待っていると星野委員長に連れて行かれるとそこには特設舞台が設置されている・・・・・文京地区、二ノ宮委員長、中嶋直前委員長、野上次年度委員長、そして、上條04委員長、坂田先輩らだった。

他地区の先輩まで駐車場で待っていてくれた・・・・・また、やられた

涙を堪えるのがつらい一日だった。二次会へ来てくれた谷口君、佐伯彰一君、新井ちゃん、ありがとう。その後、三次会へと続くのだが、みんなありがとうな

JC入ってよかった。JCでよかった。

みんな本当にありがとう
 
 

日本民族

2005年より人口減少がはじまった。計算上では西暦3500年には日本人は一人になるらしいが、現実味は薄い。だが、危機感を抱かずに何の対策もしなければ可能性は上がることになる。最近急に話題性が低くなった「移民政策」は現実味を帯びているはずだ。

国民一人当たりの生産性向上は必須だが、少子高齢社会となっている現在から未来を考えれば、外国人の労働力を招聘することは必要である。

もともと日本人は「寛容」な民族である。歴史を辿ればわかるはずだ。島国日本は大陸から多くの文化を取り入れ独自のものにしてきた。どの民族でも自らの民族と文化に「誇り」を持たない国民は、異なる民族・文化に寛容になれない。今の日本民族は他の民族を受け入れることが出来る心の準備が出来ているのだろうか。

我々日本人には民族の血、言い換えればDNAがある。寛容、共生、調和、人の和など否定する人は、本来いないはずだ。忘れている現代人が増えてしまったが・・・・・

大和民族には八百万の神々を受け入れる心を本当は持ち得ている。これは、DNAであって、知識ではない。今を契機として外国人との共生社会をまとめていくことが必要だと思う。

理事長立候補時に「移民政策」について具体的見解で述べたが、あまり現役JCには響かないようだった。

今夜は広尾の知人の店で正副夕食会を開いた。今年最後に全員で集まりこの一年間を振り返った。JCではよく理事長、委員長を船に例えるが、松本丸には604名の乗組員で走り出した。幾度かの荒波も乗り越え、乗組員も増えていった。マストは何本か折れたが、695名を乗せた松本丸は、神風に押され、着岸した。

我々Jayceeの原動力は社会変革を目指す「志」である。自分、家族、会社、社会、国を善くしたいと切実に願う青年経済人の志の集団である。若者よ奮い立ちなさい。寝て過ごすも、人のため、世のために働くも過ぎる時間は同じなのだから。

何事も全力で取り組む時、目に見えない新たなものが見えるようになる。

 
 

クリスマス

クリスマスはキリスト教徒がイエスキリスト、神が人間として誕生したことを祝うこと。イスラム教もイエスを祝うが、日本でのクリスマスは「商戦」が主であり、1900年頃からはじまり、大正、昭和と普及し、平成では完全に定着した「イベント」であろう。

家はキリスト教ではないからサンタクロースは来ないと言われた子どもの頃はそう思っていた。サンタクロースの存在について、僕の周りでは喧嘩にもならなかった。町では今みたいにクリスマス用ネオンもほとんどなかった記憶がある。

留学先のオーストラリアではクリスマスは真夏であり、海やプールでクリスマスパーティーが開かれていた。クリスマスは12月24日~1月6日までとなり、ほとんどの店が閉まっていた。子どもの頃から父親からクリスマスの本質を聞かされていたので、驚いたことはなかったが、夏のクリスマスパーティーは楽しかった。

日本ではお祭り的要素が多く、意味合いは違い、クリスマスの本質とは相違がある。サンタクロースの存在については家庭の状況によって違いがあろうが、家族が一緒に過ごすことが一番のプレゼントだと思う。

今ではクリスマスの過ごし方は多様化し、人々にとって色々な意味がある。

家ではJCを卒業してはじめて家族で過ごしたと皮肉を言われた・・・・
 

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