僕の住まいは杉並区浜田山だが、JCの地元は葛飾であり、僕のJCの原点である。下町人情溢れるこの葛飾から僕のJCライフがはじまった。喧々諤々の議論をしている姿にとても驚いたのが、ファーストインプレッションだった。入会した頃よりさほど人数は変わっていないが、常にメリハリあるJC活動を実践していた先輩らがいた。
葛飾区委員会の会議は理事会と同じほど緊張感があると周りからも言われていた。事業計画書が棚上げされたのを見たのもこの葛飾が最初である。それからも今も、他の委員会では、棚上げを見たことない。
その直向な姿に多くを学んだ。やる時はやる。遊ぶ時は遊ぶ。常に真剣であった。理事会にて棚上げしたことがあるが、その方法を学んだのもここであった。テクニックは所詮、手法である。山本五十六やマザーテレサの言葉を使い、テクニックより「魂」を伝授してくれた。
この下町「葛飾」で覚えた「バルト3国」も僕は意味がわからなかった。足立・江戸川・葛飾
の3地区は都心部から「川向こう」と言われ、3地区は「川こっち」と言っていた多くの先輩らを思い出す。そんな思い出がぎっしりと詰まった葛飾区柴又の「ゑびす家」にて卒業させてもらった。
丸10年間のJCライフはこの下町葛飾からアメリカ大陸、アジア大陸、アフリカ大陸、ヨーロッパへと羽ばたかせてくれた。そしてラストイヤーの本年、理事長という役をいただいて「葛飾で息吹を吹き込まれた魂」を多くの方に伝えることが出来たと自負している。
昨夜、持ちきれないほどの花が届いた。日本JC委員長の時、ブラジルまで一緒に行った友が他界した。死んだはずのテポこと松沢の名が3人の連名であった。長野JCの松橋先輩、小山田君の”思いやり”に心打たれた・・・
テポの史は突然の出来事だった。僕の人生ではじめて友が他界したのは8歳の時、それからあいつの分まで一生懸命生きてきたが、最近の2年間でJCの友人4人が他界した。
悲しくて、辛い日もあったが、死んだ友に恥じないよう「逃げない、あきらめない」と精一杯、前に進んできた。
ゑびす家の駐車場にタクシーが待っていると星野委員長に連れて行かれるとそこには特設舞台が設置されている・・・・・文京地区、二ノ宮委員長、中嶋直前委員長、野上次年度委員長、そして、上條04委員長、坂田先輩らだった。
他地区の先輩まで駐車場で待っていてくれた・・・・・また、やられた
涙を堪えるのがつらい一日だった。二次会へ来てくれた谷口君、佐伯彰一君、新井ちゃん、ありがとう。その後、三次会へと続くのだが、みんなありがとうな
JC入ってよかった。JCでよかった。
みんな本当にありがとう
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